日記 150

4月11日(木)

 ここ最近気づいたことがある。
 毎日軽く運動し、地味に忙しい仕事に従事して、やっとの事で得た休日にドライブに出かける。車であちこち移動しても、上手く立ち止まることができないからゆっくり落ち着いた旅ができていない。圧倒的に旅に向いていない性格なんだろう。一人旅に憧れている気持ちもあるんだけど、実際忙しさを忘れてっていうのも難しいようだ。
 
 僕は釣りが余り好きではない。なぜって、待つのが嫌いなのだ。ルアーを飛ばしてリールをちょいちょい引っ張って、という作業の繰り返しによって心を落ち着かせることができないのだ。

 それと同じようなものなのだろう。
 このあいだ志摩に行った時だって、道すがらに景勝地がいろいろとあったにも関わらず、車を止めて散策しようともしなかった。急ぎすぎているのだと思う。ゆっくりしたいのだけど、休んでいるはずなのにまったり時間を過ごすのが苦手なのだ。
 
 しかし、温泉だけはよくいく。けれども、1時間も風呂に入ったりするのもまれで、15分から30分ほどしか滞在しない。それでも満足感は得られてはいる。湯船に体を浮かべるのが好きだ。そのうち特に腰の妙な痛みが心地よい眠気に変わり、身体の疲れが溶けていくのがとても素晴らしい。
 
 ただ、それ以上が”何となく”欲しいのだ。だからドライブなんかしてみたりしようとするのだけれど、何か違う感じがするのだ。”何となく”の正体を言語化することもできないのも何だかなあと感じるけど。

 よく町の風景の写真を見たりするのにハマっているのも、そこら辺なのかもしれない。で、実際に眺めてたら、「で?」でおわってしまう。ものの十秒もしないうちにそそくさと車に乗り、次の目的地を探してはどんどん進む。
 その行動の裏は、行ってみたいという欲だけがあって、その向こうには何もないということなんだろう。この先に何があるかを知りたいだけで、その後どうするかにはあんまり興味がないというか。積み上げることに興味がないんだろうな、多分。

 料理も多分同じで、食べてみたいし再現してみたいけど、出来たからって「で?」って感じだし。良くて、美味しかったねだけで終わる。
 その蓄積が思い出だ、とか格好のいいことも言えるかもしれないけど、本読んだりしてもそうだしな。イマイチ身になってないというか・・・・・・。経験して手を伸ばせる範囲を広げて、やりたいことが出来るようになるっていう過程があれば、少しは張り合いのある生活が出来るんだろう。散発的なんだよな、いいようにいえばノマドっぽいとも言えるかもしれんが。

 なんて物思いにふけりながら、今日はこの辺で。