日記 182

11月9日(土)

 久々に休みだ。4時に起きて、メギドの共襲イベントを回した。さっぱりよく分からない。面白いのかこれ。
 時折、それまでハマっていたものでさっぱり面白さが分からなくなるときがある。多分それが来たんだろう。アニメも最近着いてこれなくなってきた。よく分からない。もう歳なんだろう。かといって楽しみにとっておいた小説を読んでみても、うむうむ、なるほど、わからんちん。頭の片隅が重く痛む。
 こういうときは美味いものでも喰って、などと考えるが、あいにく食べたいものもない。美味いもの、肉、魚、野菜、甘味、これといって何もない。何か作りたいものは、ないな。そういえば最近、料理動画もめっきり観なくなった。通勤途中で音楽を流すがマンネリが続く。相変わらず仕事は代わり栄えせず、忙しいだけだ。旅行に行きたいかと言われれば、強いて言えば北陸に行きたい。うむ、なるほど、僕はこの街から出たいらしい。
 しかし、出ると言っても身体は連日の残業でボロボロ。空はこんなに青いというのに、見上げるばかりで空も飛べないと嘆くのは、もう世間で言うところのオッサンになる自分にはひどく不似合いである。歳とともに老成できない人間だけにはなりたくはない。
 相変わらずPCの変換スピードは遅いし、ほんとうにCPU飯野積んでるのか疑いたくなるような速度、おとなしくゲーミングPC買っておけば良かったのでは無いかと後悔する。
 こういう人間だ。惰性で仕事を続けていても、いずれ行き詰まるだろうというのは高校を出た頃ぐらいには何となく読めてはいた。何となく頭良さそうなことに興味を持ってふむふむなるほどと本を読んでみても片手間では身につくはずも無く、結局は誰にでも出来るような仕事しか出来ない人間になってしまっている。全くもって苦痛だ、屈辱だ、かといって何をすればいいか分からない。要するにこれが無能の本質なのかもしれない。
 思考の流れが何本もあってどこに乗ればいいか分からない。一本ひょいとつまめば、斜に構えたような義憤につながるし、またもう一本つかめば、意味の分からない稚拙な冒険譚を考えようとしようとする。まともな言葉の塊になるのは、ほんの少しだろうし、語りたいことも書きたいことも特にないのである。興味が薄い。それでも時間は経っていく。ようするにただただつまらない人生が続いていくのだ。概ねあってる。15の時の僕はたいした慧眼を持っていたな。