オカルトの様な哲学の様な何か。~生命というカテゴライズへの懐疑~

生命体というのは何だろう。DNAは増殖を希求する構造体。能動的なる者である。あるいは、自らを複製、改良していく機能を持った分子なのか、そして欠落と異常をある程度まで許さない自己保存性も持つ。あるいは、同じような性質を持った構造体がこの宇宙のどこかに存在するなら、それも生命と呼んでよいのだろうか。あるいは、生命も物理原則の一つに過ぎないのか。進化の末に会得した機能はあたかも物理原則を利用しているように見えるだけであるのか。そうは考えたくないのは、私が人間であるからで、この種の意志と思考に対するあからさまな矜持が誤謬へと誘導しているのか。

 命というカテゴライズは我々の思考が生みだした優越でしかないとしたら。

 この世の現象に対する法則の全てを我々人類が知る事はおそらくできないだろう。我々は、密教の信者が言うところの神の御座にたどり着くための切符を持つ種族ではない。それを可能とする保存媒体として、言語はあまりにも脆弱すぎるし、数学の様な徹底的な演繹法を用いたとしても冗長にすぎ、あるいはどのような言語であっても、この世の質感を全て形容する事に文学的技術が必要である時点で情報の需要者と発信者との間のイメージの差を全くゼロにすることはできないのは、自明の理であるだからだ。あらゆる言語には記述不可能性が存在する、しかも可能とするはずの演繹的な論理も冗長すぎるが故に、おおよその人間にとって理解できないものとなってしまう。

 ここで、生物でないものをみてみよう。岩が雨風にさらされて風化する。その雨風もこの惑星の天候であり、それは現象だ。もっと大きく、宇宙に輝く恒星もその等級に依るが、ゆっくりと“死んでいく”。変化してくのだ。ここに私は類似を見出す。

原理、法則が私(ある観測者であり、ここでは私だが、もしくはこれを読むあなた自身)が認識可能であるならば、彼らには彼らなりの思惑があってしかるべきだろう。ここで言う彼らとは、物質の本性を担う何者か、あたかも意志があるかのように振る舞う物理原則に従うこの世全ての非能動なるものを指す。要するに生物、あるいはそれに似た能動なる者以外のものである。

生物であるからと言って、原理法則の支配からは逃れられていないのだ。どれだけの複雑系を持とうと、それは記述可能な原理なのだ。

 ならば、生命のカテゴライズを見直すべきだ。では、限定的に今確認できるのみのDNAやそれとよく似た性質をもった物質によって構成された個体の総称とするのか。細胞の増殖の継続そのものなのか。いまや、生命は物理原則の一部となった。


……ん?

生命とは何か。

DNAやそれに準じた構造体の増殖への希求として考える

それは物理原則の一部である

また、

非生物も言わずもがな物理原則に支配されている。

ならば、非生物も生物も同じだ。


あっ……(察し)


誤謬ですね。←使いたいだけ

DNAやそれに準じた構造体の増殖の希求は物理原則によって成り立っているからと言って、非生物も同じように増殖への希求は持たんでしょ。やっぱり、学者センセは偉大やね(安堵)

 まあ、でもなんでこれ書こうと思ったかって、生物と非生物の境界、つまり生きている身体と死体の違いってなんだろうって考えて悶々としてたからで。

 

身体(面倒くさいから生きているを省いて書きます)と死体は、両方とも物理原則の中に取り込まれている。

ん?

でも身体って動かせるぞ。

意志によって。

でも自由意思は存在しないんだよなぁ?(脳が動かそうと考えるスピードと腕が実際に動くスピードは、後者の方が早いらしいです。ならば、思考は身体に従属しているのではないか。と考える人もいるらしいですね。近代法の前提となっていた自由意思が否定されるかも、なんていう面白い思考実験ですね)


我々は、意志ではなく、身体に従属する思考を持つ。

また、思考は個体差がみられる。学習か、あるいは身体に備わったものかの中に存在する。

死体は思考しないだろうしなぁ……実験してるとこあるかどうか知らんけど。そもそも、何を実験するか分からんな。


「細胞が活動しているかどうかで判断する」

これが一番にいい手だって、はっきり分かんだね。

でも、命っていう言葉に対して感じていた温かさが消えてしまうような不安があるゾ……。


だったら、生命倫理って何だ。社会哲学よりの疑問であるけども……。自由意思が無い事は、人から尊厳さえも奪うものなのかな。分からん。


こんなことをいろいろ考えては纏まらないのです。

別にこんな事考えたところで、僕が喰うに困らないかどうかに全く関わりない訳で、正解がなんであってもいいんですけれど。

かといって、宗教は大っ嫌い(特に金がかかる奴と、今まで散々人を殺しまくっておいて美しい教義だと信徒は思っている奴)なので、絶対的な正解を決められない訳ですが。