日記 125

1月26日(土)

 今日は最終日だ。しっかり仕事を殺していきたい。
 人より機械のほうが優秀だ。その言説を検討したい。機械にも機嫌がある、調子がいいときは故障もなくひと月ほど文句も言わずに動いてくれるけど、調子を崩せば毎日のようにエラーを吐きとまる。こっちの事情はお構いなしだ。人はどうだ。10時間も働けば仕事の制度も落ちるし泣き言も平気でいう。どちらが耐久性の面でどちらが優れているかはっきりしている。でも問題は、人間と機械の体調面のサイクルがあまりにも違い過ぎるという点だ。機械が故障すれば平気で月単位の入院をしなければならない点だよ。(人間だってちゃんとメンテナンスをしても月単位の入院をしなければならない時だってあるので、やはり機械のほうが優秀)
 そうだな。やっぱり機械に仕事代わってもらったほうがいいな。
 全体的に資本投資に傾いていった場合、人はそんなにいらなくなる。今まで暴利をむさぼっていた中間層どもは凋落の一途をたどる。やったぜ。無能な人間どもはマシーナさまたちの仕事のおこぼれに与るしかないのだ。そりゃそうだろう。四六時中文句も言わずに働く、種としての違いを見せつけてくださっている。優秀なものが世の中に残る。
 ちょっと待て、機械は人間が生み出したものなんだから、働くなくなった分人間は豊かさを享受できるようになっていくんじゃないのか。
 それは違う。そもそも機械は人間が生み出したというのはある意味では正しい。しかし、機会を生み出した人間はお前のような無能ではないということだ。機械を生み出すには、金とアイデアと素材がいる。そのどれも持っていない人間のためにマシーナ様たちが動くはずがないのだ。生み出した人間の富を増やすために機械は稼働するのであって、君たちのために機械は動かないという点さ。そこを勘違いして、やれ理想郷に近づいていくんだなんてことを思うのは、実に甘い考えだと思わないかね。
 やはり機械は壊すべきだ。多くの人間を殺す。
 そういう気概を持った人間は30年もしないうちに居なくなる。
 そうやって進歩していくのだ。うむ。淘汰というものは実に気持ちがいい。
 
 仕事行きたくねぇ……。金欲しい……。
 なんで機械に使われなきゃいかんのだ。戦闘妖精雪風じゃん。機械と人間の融合体になりたい。いや体がついていかないんだけど。
 ハクスリーの素晴らしき新世界みたく、製造目的が明らかな人間がいりゃいいんだ。文句も言わず、疑問も抱かず与えられた日々を続けることを尊いというのがことさら美徳とされるのは、一見して社会は製造目的が明らかな人間によって構成されているように感じているからに他ならないのさ。半端な不良品は都市の外に放逐すればいい。
 いや違う。隣人を見てみろ、君の言うように製造目的が明らかか? この人はどういった職に就いているため、こういった姿かたちをしており、おのが複製を生み育てるため日夜頑張っています。そういえるのか? みんな半端なりに頑張ってるの。文句も裏じゃ言ってるの。
 それは論点がずれているよ。僕が言いたいのは、半端な規格の不良品が多いなら初めから目的をもって人間は作られるべきだと思うということだよ。そのための教育をして、そのために生きて、次の世代を遺せばいい。そのほうが社会にあふれてるため息が減るんじゃないかってことを僕は言いたいんだよ。
 そんなことできるわけがない。
 できるよ、今までだってそうしてきたじゃないか。
 そうなったら、いよいよもってワシ廃業やんけ……。
 文明の進歩とはそういうものだよ。
 
 悲しくなってきたので寝ます。仕事行きたくねぇ……。