日記 54

6月24日(日)

仕事
 暇だった。久々に定時帰り。
 体を十分に休めるとしよう。

考えたこと
 個人の定義。すなわち自由意志の定義。
 個人であることにこだわるか否か。
 そも、個人なる概念は歴史が浅い。
 経済的、文化的な成熟度合いに合わせ、人間観はかわっていくのではないか。
 私の嫌いな群衆も人間が環境適応により得た形態の一つなのだとすれば、
 それもまたあるべき姿なのではないか。
 熟考は、個人として純化するための作業であるだろうと直観するが、
 それは単なるバイアスなのではないか。
 何も考える人間でなければ、尊厳がないというわけでもないはずだ。
 なんとなくわかるという感覚により結びついた群衆もまた、守られるべき尊厳はある、
 が、やはり嫌いだ。もっと考えろ、考えろ。

Vつーばー
 花京院ちえり氏が怖い話朗読をやっていた。(アーカイブで見た)
 視聴者からの怖い話を投稿してもらい、それを読み上げるというものだ。
 ラジオドラマとVtuberは相性がよさそうだ。
 推しに読んでもらえたら絶頂もんだろうなと、仕事しながら考えていた。

筐底のエルピス
 話の展開遅い、もうそろそろ終わりそうなんだが。
 3巻は自由意志の話だ。
 意思をプログラムされた臓器を持つ人々が、
 自らの意思で決断していると言えるかどうか。
 唯物論的なアプローチ。あまり真新しくないものの、好きな命題だ。
 
今日はこの辺で。