日記 20

5月17日(木)

 夕方の5時起床。
 途中、喉が渇いて水を飲む。
 首から上がなんだか乾いた感じ。夜勤の時はいつもこうだ。
 滞っていたG線上の魔王のあらすじまとめ(2章分)に着手。
 危惧していた通り、シーンごとのつながりなど忘れてしまっていたこと、
 第一章のボリュームよりも多いこと、
 ミステリーにありがちな伏線が多く、拾わなければならないことが多いことなどのため、
 起動し、リプレイ。3篇に分けて投稿することにする。
 本日はおそらく投稿できないだろうが。(にじさんじの生放送みたい)

 夕飯、父が外出のため、母と共に外食。
 昔よく行ったうどん屋に行った。
 料理人が変わったのか、味が落ちていた。
 出汁が変わったのかもしれないし、火を入れすぎているのかもしれない。
 ともかく、もうしばらくはいかない。
 ソースかつ丼も食べたが、草津で食べたものよりみ味が濃かった。
 ソースの入れ過ぎである。
 入れるにしても酒と蜂蜜、出汁で味をもう少しマイルドにするべきだ。
 そのままウスターソースにドボンはあまりに幼稚である。
 店主の舌を疑う。

 夜、友人と電話。1時間ほど。特に話の内容は覚えていない。
 G線上の魔王について語ったと思う。面白いよ、くらいしか話せなかったが。
 
 その後、父から連絡。車で駅まで迎えに行く。その帰りに本を購入。
 ソラニンという少し前に映像化された漫画、宮崎あおいが出てたのを記憶していた。
 他は、錆喰いビスコ、86‐エイティシックス-、ラプラスの魔女
 ラプラスの魔女は特に気になっている。どうせ、積まれることになるだろうが。
 
 風呂に入り、Ban’sの生放送見ながら、作業を進める。
 下書きで明日に中断。
 本の包まれている袋の中から、漫画を取り出す。
 1時間ほどたったのだろうか。ぼろぼろ泣いた。
 書評できないくらい身につまされた。絶対、あの作者泣かすと決意。
 
 万楽えね氏の哲学ツイートを拝見。意識の話をしてたので、自分もやりたいと思う。
 この世界は、あるシミュレーターによって作られたMMORPGである可能性についてとか。
 文明知識の更新、パラダイムシフトを上位意思によるゲームシステム自体のアップデートと捉えていたりとか、なかなか、面白い。
 結構な大昔からこういった論調はある。
 「こんな調和された世界は、神によって作られたに違いない」
 神がコンピューターに入れ替わっただけだ。
 論証できない以上は、どう考えようが人の勝手だ。
 けれども、共同幻想を伴った信仰は、反証と検証を伴わない思想は、自我を歪ませる危険がある。あるいは、歪みうるから自我と言えるかもしれないが。
 要するに、自分たちの生きる環世界についての検証を伴わないならば、情報の更新が対自分自身となってしまい、自我対自我の過学習を起こしてしまう。
 こうなっては、ある種の独立変数として、ふるまい続けなければならなくなる。
 あるいはそれは狂人ともいう。

 独我論唯識論は、バーチャル的存在とは相性がいいが、いまだ人間は肉体を捨てることはできていないため、現代では生きづらいだろうと妙な同情を覚えた。
 ああいったシンギュラリティを、ハルマゲドンやアセンション等の宗教的なモノと結びつける信仰、遊離して浮ついた雰囲気、そこにある各々の感情はカルト的な魅力を感じる。
 実際の研究が袋小路に陥らなければいいのだが。

 話が怪しくなってきたため、いったんここで終わる。
 今日はこの辺で。