日記 339

8月24日(火)

 

 もう24日である。盆も過ぎればすぐ9月だ。

 

 小学校だったらあと一週間くらいは休めたが、盆頃は近所の子たちと遊べなく、家でゲームするしかなかったのを思い出す。しかも飽きたゲームが多いものだから、ただただ暑い夏の午後を暇だ暇だと言いながら固い茣蓙に背を預けてふて寝していた。盆など辛気くさい墓参りと、馬の合わない親戚が集っていた線香の匂いのきつい本家の中にいなければいけなかったのだから、ただただ地獄だったと思う。墓にいけばヤブ蚊に刺され、顔も知らないご先祖様に手を合わせるのもなんだかよく分からなかったと思う。神社で神様にお参りするのと対して感覚は変わらなく、祖霊崇拝的な感情でいればいいのかと思えばそれなりには楽しめたのかもしれない。

 

 そんなお盆が過ぎれば、友人と遊べるかと言えばそうでもなかったような気がする。盆が終わっても対して遊べないまま新学期が始まり、憂鬱な日々が始まるのである。夏休みというのは7月3週目ごろから8月1週目までは楽しいものだがそれ以降は非常につまらないのだ。たまに行く親との旅行も興味のない場所に連れ回されてただただ疲れるだけであったし、とかく長期休暇というのはなんなのか考えさせられる日々だった。

 

 眠い、今日はこの辺で。 

日記 338

8月23日(月)

 

 とにもかくにも書かないと始まらない。

 

 今日から線形代数の勉強を始めた。線形代数といってもまだ高校生レベルの行列の話をなんとかどうにかこうにか手を動かしながら解いているところだが。

 複数の解がある場合、勝手な数kを置くが(勝手な、と任意のは異なるものか。おそらく数学用語で違うのだろうと思う。それこそ代数学でやる話なのかもしれない)これが中々便利なきがする。ここまで分解するというのが結構大事なことなんだろうなと思うが、そのために連立一次方程式を解く必要があるかといわれるとちょっと分からない。仕事で使えるようにしたいものだが、応用できるようにちょっとずつやっていこう。統計検定とか受けられるようになりたい。企画業務は向かん。数字に強くないといかんのかもしれん。数独でもやればいいのか?

 今の会社で仕事を続けていても、とは思うがぬるま湯でやらせてもらっている手前しっかり経験積めるようにならないといかんのだが、どうにも踏ん切りがつかない。何せ今の仕事に興味がなさ過ぎる。何事も熱意を持って取り組めばそれなりには楽しめるものだと思うのだが、どうしてこうも煮え切らないのか。

 思うにベイズ統計だの多変量解析だの数理モデルの読み方すら分からん状況はなんとかしたいのだが、それを相談できる相手すらいないので、ソフトを起動して答えが出てきてもそれが正しいか正しくないか判断できないのである。これだから文系は……。数学が読めて理解できるようになりたいが、思考のリソースが余りにそちらに持って行かれたら本業がおろそかになりそうだ。

 うーむ。難しい。なんかやらねばなぁ

 

一口のもの 11

11

 

 ノルニルが言うことをずっと聞いている。今日は一日晴れだとか、昼には同い年のアナベルがレムチャと喧嘩して目をはらしながら泣くだとか、父上が狩りから帰ってきてとってくる獲物は大きな鹿だとか、それを母上が丸ごと鹿鍋にしてくれるとか。そんな一日の予言。

 ノルニルは僕のそばにいつもいる。みんなには聞こえないくらいの囁き声で、そよ風みたいに、いつのころからか毎日これからのこと、今日起こること、そして隠された過去のことを教えてくれた。みんなには見えない。このことを母上はみんなには内緒にしろといっていた。なぜか少し泣いていたのを覚えている。

 ノルニルはいつのころか僕に言った。冬が開けるころ、一度この世界は焼き尽くされて土偶の中から新たな命が生まれるのだそうだ。今の世界もそうして生まれていったのだそうだ。大昔、雲が今よりも重くこの地を支えていたころからの決まりだそうだ。

 僕はノルニルに、君の言うことを全部何もかも嘘っぱちにしてしまったらどうなるんだろうなと訊いたことがある。試してみるといいとノルニルは笑った。正確に言えば笑ったような気がした。僕はノルニルが見えない。みんなもそうだ。でも、僕はノルニルの声が聞こえるのだから、少しだけこの世界については詳しくなったつもりだ。

 ある日、僕は村がならず者に襲われてしまうことをノルニルに教えてもらった。僕は村を出ようとみんなに訴えた。みんなはなぜそんなことが分かったのかと訝しがった。そして誰も信じてくれなかった。子供のたわごとだと軽んじたのだ。

 僕は泣きながら家に帰った。そして母上に打ち明けた。アナベルはレムチャを守ろうとならず者に石を投げること、村長の娘のレムチャは連れ去られ、どこかの奴隷商に売られてしまうこと、村一番の戦士の父上はならず者の棟梁の首をもいだ時、不意を打たれて頭蓋に穴をあけられてしまうことを。

 けれども、全部現実になってしまった。僕は世界が焼けて空に帰っていくのを一緒に見ながら、ノルニルのささやきを聞いた。

「ほら私の言ったとおりになったでしょう」

 

 世界が滅ぶまでの予言が聞こえる少年が、焼いた後に世界を作るために予言を与え滅びを加速させていく話を考えたが、腰が痛いので書くのをやめる。

 

 

最近書く意欲がまた出てきた。考えていることをまとめよう。コンプライアンスに触れない範囲で。

 今週やるべきことを書いておこう。

①仕事は今日メモしたとおりに進める。困ったら先輩に相談。

②ワクチン接種をする。体温を測る。

③気になるアニメを色々調べておく、あるいは小説を読む

 

 昨日までお盆休みだったが、久々に出勤した。レビュースタァライトみたり、ヱヴァの新劇場版をみたりした。有意義だったと思う。食わず嫌せずに色々みるのは大事だと思うが、わりと好きそうなアニメですら最近みるのがつらくなってきた。最近読んだ自己啓発系の本「アウトプット大全」に短くてもいいから感想とかを整理すべきとあった。インプットだけでは駄目だ。ちゃんと形にしないと。

 知識や経験というものを自分のものにするには、ちゃんと人に伝えられる形にすることが大事らしい。いつでも手に取れる武器にするイメージか。というわけで、思いついたものを書いてみよう。とりあえず、直近みたアニメとか漫画の感想ダラダラ書くか。思いついたらだけど。

 

1、AIの遺伝子(秋田書店

 人によく似たヒューマノイドに人権が与えられた近未来で医者をやっている兄ちゃんが主人公の短編集。主人公といったが、一話完結の話が多く主題のためにはゲストキャラの患者が主人公の回もある。滋味に富んでいるいい話が多い。こういうの好き。少年漫画の長編ものはある程度、類型が決まってきており(読み手である僕の問題かもしれないが)食傷気味であったのでこういうあっさりしたものを啜りたい気分だった。

 

2、レヴュースタァライト(2018年 ブシロード

 舞台少女が勝ち残るとトップスタァになれるという夜な夜な開催されるオーディションで戦う話。わかりやすく言うと、戦って最後に残った奴は自分が望む理想の舞台に立てるというくっそ怪しげなオーディションに挑む少女たちのお話である。リアリティラインが非常にファンタジー寄りであるが、よく寓意が効いているから面白い。現実世界でやる意味は少し生々しい話をしても、いい感じに刺さってくれるからなのかもしれない。結構面白い。

 

3、最悪の予感 パンデミックとの戦い(2021年 早川書房

 マネーボールの著者が書いたらしい。よく分からんが、こちらで言うところのノンフィクション作家なのかもしれん。ともかく有名な人らしい。題材は感染症リスク管理。かもしれない。

 アメリカの感染症に関わってきた人間をピックアップし、どういう半生だったか、彼らを取り巻くアメリカにおける防疫意識の実情を書いている……。少々誇張気味かもしれないが、このくらいのストーリーがあった方がいいのかもしれない。まるでなろう小説を読んでいるかのように周りの人間に防疫知識がなさ過ぎて笑う。ここまでアレとは思えないが、いや、実際そうなのかもしれない。そのギリギリをついてくるところがいやらしい。

 

4、ラーメン発見伝シリーズ

 ツイッターでよく見るラーメン正論ブッパおじさん、ラーメンハゲこと芹沢達也を知りたくてよむ。この芹沢というキャラは中々よく出来ていると思う。こいつが出てきた回は面白い回が多い。イヤミなライバルキャラだったが、じつはシリーズを通して師匠ポジである。主人公に課題を与えては、その上を行き何かしらの教訓を与えるいいムーヴをしている。3作目は彼が主人公である。中々よい。

 

 飯食って気持ちよくなったので今日はこの辺で。

 

 

日記 337

8月13日(金)

 

 

 やはり暇つぶしに書く。中途半端に休みを頂いても持て余すことが多くなってきた。何かしたいことも特になくなってきたのかもしれない。そもそも盆休みなのだから墓参りにいったりするものなのだが、いく必要もないため

 

 豚の角煮を作っている。はじめて八角なるものを使ってみた。出前一丁のスープの匂いがする。八角は醤油ラーメンのタレに使われているのだろう。この間読んだラーメン発見伝に煮豚のタレを煮切ったものを昔のラーメンは入れていたと書いていたので、おそらくは不味い中華そばによくある匂いなのかもしれない。八角自体が不味いというわけではないが、入れてみたものの少し苦手な匂いである。どう使い切ったものか。

 

 今週になって雨が増えてきた。梅雨の頃よりも雨量が多いかもしれない。ジメジメしているので雨は嫌いだ。窓ガラスに雨粒が張り付いては垂れていくのを眺めるのは好きだが、あいにく雨戸を閉めているのでその楽しみすらないのだ。

 腰が痛い。変に胸焼けする。朝食べたバスクチーズケーキが胃にもたれる。レヴュースタァライトでもみるか。

 

 今日はこの辺で。

日記 336

4ヶ月ぶりに気が向いたので書くことにする。

何を書くべきだろうか。最近読んだ本? 世情を斜に構えて皮肉交じりに書いてみるか。それとも仕事の話?どれも余り興味がない。書く気力がなくなっているのだ。PCの調子が悪すぎるのが原因の1つで、1つ文字を変換するにもなんか引っかかるのである。ブログに直接書いているからそりゃ遅くはなるのは分かるのだが、それにしたって遅すぎる。もうちょっとガツガツ早く書けないと気持ちよくない。PCが悪いのか、wifiの調子なのかは分からない。一太郎起動しても遅いのでイライラする。職場のノートの方がまだずっとましである。

 1つの段落に思いついたことを書くと途端に読みづらい文章ができあがる。仕事でメールを打つことが多くなって学んだことはこれだ。しかし書きたいことが整理されていないとそもそも何を書くべきか分からなくなるものなので、そういうものなのかもしれない。

 いつの間にかブラインドタッチが出来るようになった。15年もPCいじっていれば普通出来るようになるんだろう。ローマ字しか打てないのだが。

 とにかく何を書くかだ。それを整理することが大事だ。誰でも多分分かっているがこれが出来れば少しはまともにいろいろなことが出来るようになるんだろうとも思う。

 最悪の予感 マイケル・ルイス 著を読んでいる。高い金を出してまで訳書によくある読みづらい文章を読むのは不合理であるが、なぜか買ってしまう。月に何冊も漫画もエロ同人も小説も教養本も買ってしまう非常によくない。読んだところで何が出来るようになったとかもないのである。何が言いたいかというと、読んだ気になったまま冊数ばかり増えるような読み方をしているのはもったいなく感じるということだ。といっても何度も何度も読み返すのがいい読み方なのか、前みたいに感想を書いて頭の中の本棚にちゃんと返すようなことをすれば効果があったかといってもどうなのだろうか。

 いままで書いた文章をもっと読みやすくするアイデアは浮かぶが具体化されない。整理しなければならない情報が多すぎるためだろう。文章書くのに時間をもっとかけるべきだろうが、それをしないからいつまで経っても上達しないのだ。こういう答えが出たので、間を置くことにしたのだと思う。あとはてなに映って記事管理でクリック数みられなくなったのでモチベが下がったのも大きい。休み時間にニヤニヤ出来ないのはつらい。

 なんか書く気力も失せてきたので、今日はこの辺で

日記 354

4月14日(木)

 

 今日も一日仕事だった。細かい事務仕事は苦手だ。何度確認してもどこかがミスしている。マクロを使わないととても回らない量の業務なので一個間違うと修正時間がアホみたいに食う。大体夕方頃になってから確認依頼が来たりするので、残業の山である、ほかの業務もあるのでそこまで工数かけるほどのことだろうかと軽く鬱になりかけている。

 1時間ほど残業し帰宅。ギャラクシーがアップデートしたおかげでウマ娘が出来るようになった。おかげで会社についたら取り合えず回せる。

 

 今日はこの辺で。