日記 229

9月26日(土)

 朝10時くらいに起きて、晩飯の支度して米炊いてから出かけた。

 カツカレーが食べたかったので駅前の飲み屋街のランチを狙う。図書館の駐車場からそこそこ歩いてようやくたどり着く。高校の時に通い慣れていた道をボーッとしながら歩いていると、こちらを怪訝な目で見ている同年代くらいの不審者(多分、向こうからもそう思われている)と目が合った。涼しくなってきたとはいえ全身黒ずくめでマスクしながら寝癖も解かずに、チャリ漕いでるような奴に不審者にみられたくねぇなと、こちらもマスクの下で勝ち誇る。不審者ポイントでは向こうが上だからな……。今回は俺の勝ちだ……・

 11時半。そうこうしているうちに駅前に着く。相変わらず寂れた飲み屋街で、カラスがパン屋のゴミをあさってビルの屋根にいる子供に餌を与えていた。近年、道が整備されたおかげで広く綺麗になったが人通りはまばらで閑散としている。昔もそうだったし、この景色が再生産されていくのだろうか。パン屋の店主は、記憶よりもより髪が白く老けていた。アンテナショップの店員は、まともに客に応対もせずに雑談。

 失礼、この調子では再生産すらされなさそうだ。

 和菓子屋は相変わらず頑張っていて、市内で話題になったアイスバーを真似て販売していた。子連れの客が仲良くなめているのをみた。高校の頃、生キャラメル買ったことあったな、とふと思い出した。今でもこの店の豆大福を見つけたら買っている。いい跡継ぎを持ったのだろう。

 カツカレーを出している店を見つけて入った。1000円。カツカレーにしては安い。薄いカツに具のないルー。サラダに、食後のコーヒー。まあ、ふつうだな。
 薄いカツは火が通り過ぎないように低温で揚げてある。衣に使っているパン粉は細かく、シャリシャリしている。ルーは、多分業務用のホテルカレーのルーの味に近い。甘めで少しピリッとする洋食屋のカレー。コーヒーは一口目は上手かったが、後味がくどかったから最後まで楽しめなかった。

 帰りに神社に寄った。あまりいい思い出はない神社だったが、大鳥居の端に立派な観光案内所が出来ていて、観光客と思しき老夫婦や高そうなカメラを持った背広を着たおじさんが参拝にきていて、此処もすこしは変わったのだろうかと期待をしたのが間違いだった。結論を言うと、俺は鳥居の前を通り過ぎたことは何度もあったが実際に中に入ったことはなかったし、いやな思い出もこの境内の中ではなかったのだ。そう、何もなかったのである。
 いろいろなことをよく考える。こんなところに来るべきではなかった。考え事をしながら通った大鳥居の前、黄色い砂の自転車の轍の跡もよく見れば消えてはいない。外観だけは小綺麗に整えても、結局はどこかよそよそしいのがこの街だ。蜂蜜入りのオレンジジュースも果汁の渋みを誤魔化すために入れていたんだろうけど、逆に変に際立って青臭いだけだったし。ラスクももうちょっと練乳かけてから焼けばいいものを思い切りが悪く、ぼそぼそした感じが抜けていない。
 駅前にはいい思い出なんてないし、これからもここでは生まれないだろうということが分かっただけでも収穫だった。飲みにはいくけどな。飲み屋はいい店多いし。

 気疲れを起こしたので、帰りに久しぶりに温泉に入って帰った。旅館街を抜けるとき、レジャー客がキラキラしたムードを放ってるのがなんかむかついた。ワンコインで食べられるカツカレー屋がオープンしているのをみてもっとむかついた。結局のところ故郷というものは、記憶が見せる憧憬と呼ばれる一種の幻覚で、そこで生まれ育ったからといっても自分に合うかは別の問題なのだろう。住めば都と言うが、自分にとって都なんて何処にもないのである。
 ただ1つ救いだったのは、温泉に入ったときに客がここの泉質を褒めていたところだ。全身に入れ墨を入れていたからよく風呂屋には通っているんだろう。墨から来る疼痛を癒やすためにそういうのに通うらしいときいたことがある。同じ体験をして同じような感想を抱いてくれる人がいるのは心強かった。それが、経験の豊富な人から来るものであればなおさらだ。まあ、わかり合えることはないだろうけど、一点だけでも赤の他人と感性が似ていたことが純粋にうれしかった。

 眠い。今日はこの辺で。