日記 72

7月12日(木)

 甚平を2着買った。衣服を買うのは何年ぶりだ。ベルトはこの間買ったけど。
 以前持っていた甚平が破れて以来、ずっとほしかったのだが、いつも夏物の服を9月ごろになって買いに行くせいで、買えずじまいだった。

 やはり甚平はいい。中学の時にBLEACHの蒲原喜助が格好良かったので、和服っぽいものを買おうとスーパーで見かけたのが初めてである。それを大学卒業まで夏になるたび着ていた。

 なにせ、気を使わなくていい。流石に外に着ていくには、Tシャツくらいは着ていかないとちょっと怖いが、上下セットであるからズボンも合わせる必要がない。考えないというのは非常に楽である。近所に買い物に行くくらいなら、いつもこの格好だったと思う。

 涼しいし、自分が服を着ることのできる服の中では唯一似合うと自信があるのが甚平なのだ。他の服はセンスがないのか、体型が悪いのか、あるいはそのどちらもなのだろうが、ダサい。私が着不精なのは、何の服を着ようが大体ダサくなるため、服に金を掛けなくなったというのが理由である。少々服が破けようが汗で色がくすもうが関係なく着ていたのは客観的にみれば擁護できないけれど、そのころには、外に出るよりも家の中であーだこーだ考えている時間のほうが大事に思っていたので、相当アレだったのだろう。

 いま思えば、高校時代からそのきらいはあったか。考えを人に話すのだが、伝わらない。というより、状況的に直接的な表現ができない場面が多かったため、どうしようもなかった時期があった。そうなれば内に籠って、あれこれ言語化するということで代替するしかなく、結果、外よりも内のほうが自分にとって居心地が良い世界が出来上がったわけである。

 話をもとにもどそう。要するに甚平は最高の部屋着であると同時に、青春時代のモストフェイバリットアイテムであるということだ。周りが洋服で生活しているなかで、唯一、和服で生活している感が自分がタイムスリップしてきた人間のように感ぜられて、妙な高揚感が湧いてくる。しかもあまり気を使わなくとも、そこそこ見れる格好になるという素晴らしさ。しかも着るのは結構楽といいことしかない。9月ごろになれば半額以下で投げ売りされるが、別に10月くらいになっても着ることは可能だ。大学時代なんか1年中着ていた時期すらある。授業にはさすがに出る勇気はなかったが。
 
 今日はこの辺で。