日記 64

7月4日(水)

 なんとか一週間を切り抜けた。
 休みに入るたびに生きてることに感謝しなければならないほど、
 身体を酷使しなければならないとは……。
 世知辛い。

 ハル遠カラジ。まさか終章一歩手前まで過去話で引っ張るとは……。
 しかも、過去話のほうが面白いという。
 名無しの女の子をアンドロイドたちが育て、家族になっていく過程がとても面白い。
 それを通して、テスタが命に対する責任について苦悩するというのが良き。
 冷静になって考察してみよう。

 そんなことより、また変な夢を見た。
 なんと、TSものだ。
 朝起きたら金髪のベリーショートになっていた。
 まあ、お洒落でもしたんだろう。ヤンキーっぽいセンスなのは、土地柄だな。
 と、なんか納得し、学校に登校。
 クラスメートからなんか好奇な視線を感じたので、
 とりあえず一発頭突きをかまして、泣いて謝らせた後、時間がとんで、トイレ休憩に。
 鏡を見たら、なんと髪の毛が伸びてショートになっていた。
 いつの間にこんなに伸びたんだ?となんとなしに髪を梳くと手が触れるたび、髪が伸びた。
 面白くなって、何回も触れているといつの間にか結構なロングヘアになっていて、
 気づけば顔まで変わっていた。
 目がぱっちり、鼻筋が通っていて、色白のいわゆる美少女になったのだ。
 完全に北欧美人やんけ! と妙にテンションが上がり、
 こんなの学校に居たらそらアイドルになるだろと、いい気になった。
 というわけで、モテない童貞男子どもにせめてものプレゼントでもやろうかと
 黒板を消している男の首筋に息を、ふっ、と吹きかけたところで目が覚めた。
 
 こんなことやったら男子はドギマギするだろというのを考えながら、
 行動することがすごく面白いことであるというのは、夢ではあるがいい経験になった。
 エロ漫画とかで見る気持ちいいところ全部知ってるから任せてとかいうアレに近い。
 これは自分の願望だと決して考えたくはないが、
 美少女というのはつくづく人生楽しいだろうなと思う次第である。
 
 美少女であれば、弁当がケーキであっても許されるし、
 美少女であれば、授業を遅刻してもウインク一つで許されるし、
 美少女であれば、異性を食い散らかしてもいい夢を見せてもらったで済まされるし、
 美少女であれば、何もかもが上手くいく。
 
 少なくとも、頭皮の脂から加齢臭を漂わせ、
 何を考えているか読み取れないほど茫洋とした中年男性であるよりは、
 周囲からの寛容を受けやすくなるのは間違いないはず。

 これは学生時代に伊坂幸太郎作品を読むたびに真っ向から否定されたテーゼなんだけど、
 実際、このステレオタイプが現実に打ち砕かれた経験がないため、
 彼ら彼女らも苦労しているんですよという良識人ぶった人格と
 高尚ぶったこと言いやがって、犯すぞコラ(抜きゲ産人格)が
 同居しつづけているのが私の世界。
 
 うるせぇ、そういうお高くとまった奴が理不尽な力で
 媚びへつらわされるのがエンタメだろうが……! 
 そんな空虚なポルノこそ、お前が本当に欲しいものだろうが……ッ!
 小蠅の飛び回る、下卑た笑いの裏に溶岩のような怒りを持った用務員のオッサンが言えば、

 いやいや、徹底した計算と論理によって人は動くものなのだから、
 一切のバグは容認されません。
 人は感情で動くもの? 
 観客の満足を得るにはどうするかを考えたとき、そこにあるのは何ですか?
 優れた表現とテンションの導線だけです。
 美しい物語とは、憎むべき敵を愛すべき仲間たちと共に倒すことに他ならないのです。
 そんな味方や、敵すらいないのが現実だとしても。
 ああ、それも一種のポルノですね。それに気づかせないように上手く誘導するべきです。
 と冷笑気味な良識人が説教を垂れている。
 
 まあ要するに、娯楽作品は所詮ポルノだということが共通の見解というわけだ。
 ではなぜ、フィクションは存在するのか。
 あるいはなぜ、フィクションのような劇的な何かが現実に起こるのを夢想するのか。
 ニヒリズムにどうにかして勝ってほしいと願っているからではないのだろうか。
 ニヒリズムとの闘いにおいて、
 より深く切り込める塹壕こそが出来のいいフィクションなんじゃないのかとか
 そんな馬鹿なことを考えつつ。

 今日はこの辺で。