日記 25

5月25日(金)


 8時起床。何をしていたか思い出せない。
 多分SSを書いていた。筆は進まなかったが。
 
 10時半ごろ、隣町まで買い出し。
 ベルトを何年振りかに購入。3300円もした。
 こんな革紐にそんな価値があるのだろうか。
 
 昼、店に行き蕎麦を喰う。やはり天ざるは旨い。
 庭に池を作るそうだが、ボウフラが湧かないか少し心配である。
 また、蕎麦の値段が上がるそうだ。
 原材料の高騰、全人類を満足に食わせるだけの土地なんてそもそもあるのだろうか。
 純粋に富の流れの勾配が変化し、日本に飯が流れてこなくなったからなのか。
 多分、ここで考えても結論なんて出ないのかもしれない。
 今のうちに、旨いものを喰っておこう。

 昼、1時頃帰宅。また本が届いた。
 86の2~4巻。
 筒井康隆の「誰にでもわかるハイデガー
 オキシタケヒコの「筐底のエルピス」1巻
 壱日千次の「バブみネーター」
 
 とりあえず、ハイデガーを読みたかった。
 前々から読みたかったのだ。
 「存在と時間」、いかにも中二心をくすぐるタイトルである。
 そして、ワクワク顔で読むと、なんか違う。
 書かれていた内容を要約すれば、
 「人はみんな死ぬ。
  いつか死ぬという不安が、人間を主体的にさせる」
 「存在と時間は、途中でハイデガーが書くのを投げた」
 最悪である。
 今日日小学生にでもいえることしか言ってないくせに、そこで分析を辞めたなんて。
 
 ハイデガー
 学者としての本分を忘れて、世俗に踊らされた哀れな人間のように思えてならない。
 なんでこんな中途半端なことをしてるくせに、学長なんかにまでなったんだろう。
 大哲人が聞いて呆れる。
 彼は哲学者じゃなくて、詩人を名乗るべきだった。
 彼は、明らかに失敗した。
 一人で死に慄くなら、確かにやるべきことに必死になると思うが、
 共通の敵に不安を煽られた人間と恐慌状態を共有するだけでは、
 世人同士の空談に成り下がるだけなのに。
(あ、筒井先生の解説は前半は分かりやすかったです。
 第二編以降は、え?ここで終わりって感じでしたが)
 
 錆喰いビスコ、途中まで読んだが面白い。アクションが活き活きしてる。
 わけわからん世界観を明快に、魅力的に書いている。平凡な感想しか書けないのがつらい。

 86の2巻。1巻より面白い。
 ハイデガー本人より、よほど本来性をもったキャラクターたちだ。
 死に場所を選ぶ自由くらいしか、戦場にしか生の実感を見いだせない哀しさは、
 なかなか来るものがある。相変わらずの土臭い戦闘描写も良い。

 そんなことをしていたら、眠くなってきたので寝た。
 19時、晩飯。白魚のムニエル。ポテトサラダ。
 塩気が足りなかった。以上。

 SSを書けなかったのが、心残りだがまあいいだろう。
 休暇じゃ、休暇。ワイも立派な世人の一人じゃ。何がメメントモリじゃあ!
 
 今日はこの辺で。