第三話「土曜のアルバイトの顛末」(仮)


 金貸し稼業も楽ではない。まず相手が金をきちんと返すのかを見極めなければならないし、かといって、すぐに返済してしまうようではあまり儲けにはならない。そういう中で長く儲ける方法がある。借入人に利息を還していくだけでやっと生活できる程度でタダ働き同然の仕事を紹介してやり、寝食を提供して徹底した管理の元で生活をさせる。もし身体を壊すか精神を病んでしまっても、襤褸雑巾のように捨ててしまえばよい訳だ。無論、非人道的だなどと世間の目にさらされてしまうこともあるかもしれないが、借入人も後ろめたい所があるし、そもそも阿漕な金貸しに借りるような状況に追い込まれている事自体が世間体を保てていないのであまり問題視されることもない。小日向家もそんな稼業を営んでいる。

『土曜日、開いているなら少し手伝ってくれないか。バイト代は弾むから』

この文面のメールが源二の携帯電話に来たのは、水曜日の夕方ごろ、兄のお古のコンポで借りてきたCDを聞いていた時のことであった。その日はデッサンの件もあってか、ベッドの上に寝転がってロックだかバラードだかわからないような曲を気持大きめの音量でかけながら、目を瞑って頭の中から嫌なものを払おうとしていたのだ。だから、この湊のある意味非日常的な提案に源二は飛びついた。それから、木曜、金曜とをいつもと変わらぬ風に過ごし、その日がやってきた。

 待ち合わせの場所は鳩羽というところにある湊の家で、海を見渡せる小高い丘の上に二百坪ほどの土地には英国風の芝や薔薇等が植えられた庭が、よく手入れされた小道を抜けると江浜というどこか陰気な雰囲気を漂わせている田舎街にそぐわないような立派な洋館があった。小日向湊とは高校に入学したころからの付き合いであったし、湊自身、源二の家の骨董品屋によく客としてやってくるので金持ちなのだとは知っていたのだが、さすがにここまでの邸宅に住んでいるとは思っていなかったので、メイド服を着た女中に小奇麗な茶室に案内された時は夢でも見ているのかと頬を片手でつねって確認したほどだった。

「待たせたね、どうしても人手が足りなくって君に頼まなくちゃいけなくなってしまって。こんなこと高校生に頼むのもどうなんだと父に言ったんだけれど」

と湊が茶室の扉を開けて入ってきたのは、源二がカモミールか何かで入れた紅茶のあまりのおいしさに一気に飲んでしまって、それをみてくすくすと笑う女中の方にお代りを頼んでいた時であった。

「催促しに行くときにスーツ着て突っ立ってりゃ、五千円もらえるんだろ。いいよ、どうせ暇だったし」

 ゴクゴクと水でも飲むみたいに女中の入れてくれる紅茶を源二は飲んだ。

「でも、これはいわゆる“取り立て”だ。誘った僕がいまさら言うのもなんだけど、決して気分の良いものでもないし、高校生が見ていいようなものを見てしまうかもしれない」

「それを言ったらお前だって高校生じゃねぇか。さあ、いこうぜ」

 源二は物をあまり深く考えない。湊は源二のこういうところが気に入っていた。基本的に立ち入ったことを人に聞かないし、人の気分を害するようなことに対して敏感で、そういった臆病さを誤魔化すために源二がわざと粗野な態度をとっていることを湊は知っている。だから父が先日湊と一緒に回るはずであった従業員が急な用事で休みを取ったので代わりがいないかと聞いてきた時に咄嗟に源二の名前を出してしまったのだ。




「にしても暑いな。上羽織んなくてもいいんじゃないか」

 持っている礼服と言えば学生服くらいのものである源二は湊の家で仕事用のスーツを貸し出してもらった。通気性の良い涼しい生地を使っているとのことだったが、やはり炎天下の日にスーツの格好で外を出歩くのは少々きついものがある。高校生が車を運転するわけにもいかないので目的地までは自転車で行くことになった。

「すまないね。一応、ウチの業務上の規約があって、夏場でもきちんと着ていかなくちゃいけないんだ」

 鳩羽の丘の上から一気に自転車で駆け抜けると分厚いスーツを貫いて涼しい風を肌で感じることができた。坂を下りきった源二の家のある蓑篭へ行ける交差点を直進し、いつもの学校に向かう道をそのまま通る。屋敷街と呼ばれる明治時代ごろから地元の名家が立派な門構えを競うようにひしめき合わせている地区を10分ほど北に向かって扱げば、彼らの通う高等学校の校舎が見え、そこを海側に向かって下って行った小道で湊がやっと着いたねと自転車を停めた。

 軽トラックがぎりぎり通れるくらいの幅の小道に面した黒々とした板張りにトタン屋根、戦後の焼け野原に建ったあばら家をそのまま寄せ集めて2階建ての体を無理やり保っている様だと源二は思った。ここが今回の目的地、山月荘である。

「こんな襤褸アパート実際に見たの初めてだぜ。部屋に入って突っ立ってればいいんだよな」

 二人は金属製の階段をカンカンと登りながら目的の部屋の前まで行く。

「源二は黙って立っていれば良いよ。僕が話をつけるまでね。あと、お客さんが逃げようとするなら、その時は追いかけることになるかもしれない。まあ、そうなったらまた後日ということになるから源二には関わりのないことだね」

と源二のアルバイトの内容を確認させて、湊は塗装が半分くらい禿げてしまっているドアの前に立った。二〇二号室とマジックペンか何かで書かれている表札が付けられている。ノックをして

「もしもし、宅配便のものですが、お荷物をお届けにまいりました」

と元気な声で湊は呼び掛ける。白昼堂々としかもこんな古典的な嘘をつかねければならないのかと源二はハンカチで汗を拭いながら思った。

 ご機嫌な鼻歌を歌いながらドアを開けて現れたのは、源二の想像していた――ずんぐりと太って、手入れの行き届いていない髪が頭の上に散らかった、脂ぎった肌には垢がこびりついた様な黒い滲みのある中年の男――とは、まるで逆の若い女性であった。水にぬれた烏の羽の様な艶のある黒髪、透き通るような白い肌という清楚な印象に反して勝気そうなつり目が印象的な人であった。普通の男子高校生なら道端で目があったらドキリとして、いいことがあったぞとスキップしてしまうくらいの美人ではあるのだが、源二にとって残念だったことは、彼女が学生時代のものであろう草臥れた体操服を部屋着に着ていて、しかも部屋の中には布団やら下着やらが散乱してあってラジオからは結構な音量で競馬中継が流れていたことだった。

そんな印象を源二が抱いている一方で、彼女の勝気そうな瞳は湊を捉えるとしおしおとしぼんでいきそうになるが、湊の側にいるスーツ姿の男がいつも来ている強面の大男と違うのを認めると一転強気に

「騙したのね! これだから借金取りは嫌いなのよ! それに今月分の支払いはまだでしょう」

と怒りの炎がともる。

 いや、そもそもあんな古典的な嘘に引っ掛かるのもどうなんだと源二は思わず笑いがこみあげそうになるのを抑えた。

湊は少しも動じずにニッコリと営業用の笑顔を作り

「ええ、そうですけれども。今月分の支払日は14日金曜ですから、その時まできちんとお金を残しておいてもらわないと困るのですよ。例えば今日家賃で手に入れた収入を博打ですってしまう様な事をされてはね」

と柔らかに言った。女性は図星をつかれたのか、不安になったのか恐る恐る確認をとった。

「それは……。勿論ちゃんと考えてるわよ。えっと、今月は5万円よね? 」

それを聞いて湊はやっぱりなという様な顔をして

「利息分だけなら5万円です。返済分を含めるとなると七万円ということになりますね。」

と、訂正をする。しばらく女性は青ざめて、5万は預けてあるから大丈夫として、残りの2万を突っ込んじゃってるから、今までの勝ち分を計算に入れると……等とぶつぶつと呟き

「ああ、もう! 次のレースで大穴狙いで勝てば、返済できるわよ。耳そろえて還してやるから、待ってなさいよね!! 」

と奥の方へ引っ込んだ。追いかけるようにして湊はおじゃましますと慇懃無礼な態度で革靴を脱いで部屋の中へ入っていく、一人で暑い中スーツ姿で外にただ立っているのも嫌なのでその後に源二も続いた。

 部屋の中は思ったよりも涼しく、扇風機か何かが回っているのかと思ったがそれは壁の所々から隙間風が吹いているからで、下着が散乱しているのは洗濯をこまめにしないせいもあるのだろうが、部屋が狭い為に吊るすスペースがないというのもあるようだ。衣類を踏まないように注意しながら女性の側に二人は座った。失礼しますねと湊が断りをいれたが、女性は完全に熱中してしまっているのかラジオから流れる実況に耳を傾けながらスポーツ新聞を齧りつくようにして見ている。この時ちょうど夕方頃になり、今日のメインレースが始まろうとしているらしい。女性は新聞の一面を鉛筆で印をつけて、白紙のメモ用紙に賭ける馬を書き出していく。

「よし。これなら勝てるわ。あんた達も祈ってなさい」

と女性は口角を吊り上げて不敵な顔を見せると胸の前で十字を切って、手を合わせてぶつぶつと念仏を唱え始めた。神様、仏様という奴がいるのだったらこんな無節操な人間に手を貸しはしないだろうな、少なくとも自分なら、と源二は考えながら部屋の中に落ちていた団扇を見つけるとパタパタと顔を扇ぎ始めた。その横で湊は電卓と伝票を鞄の中から取り出して何やら計算をする。返済が可能になった時のプランと今回利息分しか返せなくなった時のプランを提示しようというのだ。

そうしているうちに出走開始を告げる軽快なファンファーレが流れ、発馬機が開き馬は一斉に走り始める。各馬は、第四コーナーを曲がり、このレースの勝者が分かってきたところで女性は

「よっしゃ、よっしゃ! 行け。行け! 」

とまるで目の前でレースが繰り広げられているみたいに興奮した様子で、ちゃぶ台の上の新聞紙を握りしめる。どうやら、かけた馬が上手い具合に競っているらしい。ということが源二には分ったが、窓の外の電線に雀が二、三羽ほど止まっているのを見て、嗚呼のどかだなともうレースの結果はどうでもよくなっていた。ラジオが騒がしいが外は静かなのだろうなと。彼女が勝つにしろ、負けるにしろ、源二は今日の分の給料はもらえるのだし、これだけレースに熱中しているのだから突然逃げ出す様な真似はしないだろう。そういう計算があった。




「では、今回の返済額は5万円ということで来月からの返済プランはこのような感じになりますがよろしいでしょうか」

と湊がさわやかな笑顔を浮かべて女性に電卓とこれからの返済額を月ごとにまとめた伝票を見せたのは、レースが終わった直後である。実況席からの「いやぁ、今回はいいレースでしたねぇ」というコメントが源二には皮肉っぽく聞こえた。惜しくも彼女が賭けた馬の順位の組み合わせと食い違ってしまい、結果的に賭け金を全額スってしまったのだ。

「惜しかった。惜しかったんです! あとちょっと、せめてラモスが2着に来てくれればっ」

と涙ぐみながら今回の反省を述べていた。どうやら、まだ現実逃避をしているらしい。目ざまし代わりに湊はこれからの彼女の金銭面をアドバイスし始める。

「来月から五千円ずつ追加で払っていけば、3年後には返せますから。大丈夫です。ここのアパートの家賃はこれ以上、上げられないでしょうけれども、空いた時間に仕事をすれば返せない額ではありませんから」

「そんなぁ、勘忍してくださいよ。今でもかなりギリギリの生活送ってるんですからぁ」

さっきまでの高圧的な態度はどこへやら、女性は付きつけられた伝票をみてすっかり青ざめてしまった。その様子を見て湊が一瞬ニヤリとその端正な顔を歪ませた。

「まあ、このプランが嫌でしたら、別の方法がないことにはない訳ではないのですが……」

と湊が含みを持たせたことを言うと、女性は

「本当ですか! 本当でしたら教えてください! 」

と湊の手を握って頭を垂れた。

「まあ、簡単なことです。僕たちは天神崎で屯っている集団の調査をしていましてね。月島さん、あなたにその協力をお願いしたいのです」

 調査と聞いて源二は、夏合宿の事をすっかり忘れていた事に気がついた。このところ兄が帰ってくる事で頭がいっぱいになっていたし、あれから湊や沙紀と昼休みに世間話なんかをしたけれども、白装束の集団を実際に調査しようとは3人とも言いださなかったのだ。だから、実際の計画を湊が進めようとしている事に驚いたし、今日、源二自身がこのアルバイトに誘われた理由もわかった気がした。

「でも一体、何をすれば良いのよ? というか、天神崎で集団がたむろってるって初めて聞いたわよ、なんなのそれ」

と月島さんと呼ばれた女性はすっかり調子が戻って、先ほどまでと同じ、妙に気さくな態度に戻った。腕を組みながら何かあったかしらと思いだす様な仕草をとる。

「近頃、白い装束を纏った集団が夜な夜な儀式を行っておりましてね。とある週刊誌で報じられていたのですが、それを書いた記者が暴行を加えられたなどとありまして」

 そこまでは書かれていなかっただろうと源二はツッコミを入れたくなったが、湊に任せておけば良いということだったので黙っておくことにした。

「と言われてもねぇ……。私はそんなに出歩かないし、いくらここから天神崎が見えるって言っても、一応女の一人暮らしだから夜中はカーテンも閉めちゃってるし、そんなこと言われても分かんないわよ。てか、実際あんた達その集団をその目で見たの? どんな週刊誌か知らないけど、でっち上げとかもあり得る話じゃないの? そもそもなんでそんなことを調査してるのよ」

まるで訳が分からないといった風に、月島さんは眉根を寄せて湊の顔を見据えた。そもそも、借金取りがそんなことを聞いてくるだけならまだしも返済金との交換材料として調査を協力して欲しいというのは妙な話だ。彼女の真っ直ぐな視線が突き刺さったが、湊はまるで動じずに演技がかった風に

「まず最初の質問に答えましょう。実際私はその集団を目にした事がありません。しかし裏はとれています。こちらをご覧になって下さい」

と笑顔を崩さない。湊は鞄の中からクリアファイルを取り出すとちゃぶ台の上に置く。ファイルの間に挟まれた数枚の写真には、夜中の天神崎にぽつりぽつりと白い影が映っていた。それを見た月島さんは、ほへぇ、と目を丸くして

「カメラマンでも雇ったってのかい。まるでゴシップ記者みたいだ」

と言った。

「正真正銘こちらで雇ったカメラマンに遠くの方から撮りに行かせたのです。お客様の信用調査もうちの業務内容に関わっておりまして、その筋からの情報なので信頼はできると思います」

と湊は笑みを深くし、言葉を続ける。

「そして、最後の質問。なぜ我々が一見何の関わりも無い様な集団の調査をしているのかですが、実は天神崎の周辺に住宅地を建てる計画がわが社の方で内々に進んでおりまして、そういう怪しい集団に居られて変な噂が立つと困ることがあるわけです」

 なるほどねぇと月島さんはなんだか感心した様子で聞いていたが

「でも、私が役にたてる事なんてほとんどないわよ。さっき言った通り、私今日初めてこんなこと知ったんだから」

となんだか困惑した素振りを見せた。湊はそれを見逃さない。

「この一カ月の間部屋を貸していただいたり、このあたりで何か不審だった点などを逐一教えてもらえれば今月の返済分を帳消しにして差し上げましょう。そうすれば今まで通り、ここの大家を続けていくだけで借金も返せるというわけです」




「ずいぶん上手い嘘をついたなぁ」

と帰り道に山月荘から離れたのを確認して源二は言った。

「まあ、半分くらいは本当の話さ」

「半分くらいは、ってなんだよ」

「実際に天神崎を開発するっていう話は持ちあがっていたし、ウチの調査員の人に頼んで写真を撮りに行かせたというのも本当。ただ――」

湊の言葉尻が濁ったのを源二は訝しく思う。それからしばしの間、湊の言葉の続きを源二は待った。

「その、カメラマンの方が、今日一緒に来てもらう人だったんだけど、その日の夜から行方が分からなくなったんだ」

辺りは暗くなり始めて、二人が鳩羽と蓑篭の交差点に差し掛かった頃であった。