第一話「夏合宿」

 人間はけだかくあれ、

 情け深くやさしくあれ!

 そのことだけが、

 われらの知っている

 一切のものと

 人間を区別する。     (ゲーテ「神性」より)


「神は見ておられます。私たちの愚挙を、生きるという因果から背負う原罪を。故に我々は購い続けなければなりません。神は総てを見ておられます。我々の一挙一動総てを」

 辺りは闇夜、波の立つ音と朗々と説教を謳う声。夏といえども夜更けに吹く潮風は冷たく、岩礁の合間を縫って衣服を貫き、“彼ら”にとっては文字通り骨身にしみる寒さであった。

「神によって子供たちは穢れを知らぬかの地へ迎えられました。彼らの安息を願いましょう」

 今度は違う説教師の、甘い女の声が響いた。と同時に雲間からは月明かりがこぼれおち、黒々とした水平線上に巨大な岩の塊のようなものが浮かび上がった。この教団の礼服なのだろう、信者たちはみな一緒の白いかぶり物を着て、一様に視線を夜の黒い海に注いでいる。

「見よ、子供たちの楽園を。私たちの希望を、神の住まう庭を。あれこそが私たちの守るべきものであろうぞ」

その言葉と共に空に浮かんでいた雲のベールがいよいよ剥れ、今宵の満月は姿を現す。まるで、舞台のスポットライトの明かりが強くなっていくかのように現れたのは、海辺に浮かぶ山であった。いたるところに生い茂った木々は、月の光に照らされてもなお、あの島が秘密を隠し続けているようだ。

鼻をすすり、嗚咽し、泣き崩れる者もいた。狂ったように口角を引きつりあげる者もいた。それらを横目で見て、やり切れないともうんざりしたとも言える感情を誤魔化すように、白い教団の礼服を着た男は天高く登る夜空の月を見上げた。

――この連中は本当に死を悼んでいるのだろうか。喉が枯れるほど咽び泣けば天国にでも届く? 教会の神父にでも懺悔すれば神は見守ってくれています等という言葉も聞けるだろう。しかし、彼らの声じゃない。そんなものは典礼に載っているとおりの決まり文句でしかないのだ。こんな夜中に集まって皆で慎ましやかに生きていることを報告すれば良いのか? でも、帰ってくるのは胡散臭い説教と波の音だけだ。魂の存在証明は哲学者や科学者にでも任せておけば良いが、それでも存在が不明瞭であることは確かなものに対して、死を悼むという行為を我々が止められないのはなぜなのだろう。きっとそれは、自分自身のため、彼らのいない明日を生きるためなのだ。この連中は、死を悼んでいない。彼らの居る日常に戻りたがって現実から目をそらしているだけにすぎない。ましてや、彼らのためという欺瞞を使って説教を垂れている説教師たちも非日常を演出しているだけでしかないのではないか。

 教団から抜けよう。男は思った。周りの信者は島に向かって拝礼をし始めていた。ぶつぶつと呟くのが聞こえるのは、今日どれだけ自分が子供たちを忘れずに生きたかを伝えるためだという。ここにいれば煩雑なだけの悲しみしか得られることはない。最後の拝礼を終えた時には彼の決心は固まっていた。


一、


「夏合宿!?」

 美術室に三人の人影があった。その中の背の少し高く、品の良い黒々とした目の愛嬌のある男子生徒が驚いた声を出した。答えたのは3人の中の紅一点である。オカルト雑誌の特集記事を机の上に開いて男子二人の顔を見回した。一方は、先ほど述べた品の良い顔の、もう一方は、中肉中背、顔貌も平凡そのものの男であった。記事を読みやすいように回転させて、字を指で追いながら読み上げる。

「えぇっと、何々……。

――石見地方に位置する入り組んだ海岸のある人口1万程の田舎街、江浜市。そこに白装束の集団が出没していることを御存知だろうか――

この江浜市って、ここのことか? 俺、そんな集団見たことないんだけど」

「遠藤君と小日向君は、こっちの方通らないからね。住んでるとこ市内でしょう。私は羽山に住んでるから天神崎の近くを通るのよ。

 で、この間たまたま生徒会の帰りにね。見ちゃったのよ、白いポンチョを着た謎の集団をね」

 記事の内容はこうだ。彼らの住む江浜市のとある海岸に白装束を着て、夜な夜な歌や祈りを捧げる集団が現れる。朝になって彼らの儀式の跡に行けば、何も残っていなかった。記者がその場を見回した時、何者かの視線を感じ、上を見上げるとやはり田舎特有の排他的な目線が云々と書かれてあった。

「いや、いつも思うけどこの雑誌は、胡散臭ぇよな。3流のゴシップ記事でもこんな内容のないこと書かないと思うぜ」

「まあまあ、それよりこれ見てみなよ、この写真に映ってる看板、源二は見たことないか」

 源二と呼ばれた青年は、額に拳をあてて、少し思案するような格好をする。そして、少しの間があってから、握りこぶしでもう片方の掌をポンと叩いた。

「あ~、見たことあるわ、これ。この前の水曜お前とコンビニに立ち読みに行ったときにどこかの家の生け垣にうちつけてあったな」

 源二は自分の言葉を頭の中に刻みつけながら、うんうん、と頷く。木枠に黒いアルミ板がうちつけられた大学ノートよりも一回り大きいくらいの看板に神は再臨するだの、いつもみているだのと脅迫めいた文句の筆書きは、彼らの視線を釘付けにした。いつもはオカルトに興味の薄い源二ですら、だ。それから別れるまでの間、ずっとその話題で盛り上がったのだが、ベッドに寝転がるとすっかり源二の今日の記憶の中から抜け落ちてしまっていた。それが記事に載っている訳だ。

「実際に信奉している人がいるって事だろうから、もしかしたら、本当に怪しいカルトがこの街に広まっているかもしれない。なるほど、これなら信憑性もあるだろうし、追いかけるのも面白そうだね。」

「何より、誰かさんがいつも言うような世界滅亡だとかUMAだとか、そういうのよりはよっぽど事の真相をつかめそうだ」

 源二はそういって、美術室の棚の上で西日を受けて光っている奇妙な形をした小物を見回した。アステカの太陽時計、水晶ドクロ、UFOの破片だとか言う金属の破片、アメリカで見つかったとかいう火星人の標本、などなどである。

「君は、まだオカルトを信じていないのかな? もう入ってから二年経つというのに」

ピクリ、と隣の青年が反応するのを見て源二はしまったというような顔をした。こうなると後が怖いのだ。青年は飾ってあるオーパーツの中から一つを手にとって解説を始める。

「例えば、この水晶ドクロ、ヨーロッパで採掘された二〇世紀初頭に発掘されたものなんだが、一体どの時代の地層から発掘されたと思う? 二五〇〇年前もの地層、つまりギリシア文明期につくられたものなんだ。髑髏のように複雑な形に加工をするような技術がその当時存在しているというのは考えにくい……。とすると! これは超古代文明、はたまた宇宙人からの交信がそのころからあった可能性があるわけだ! そして――このロッポギル星人と呼ばれている標本なんだが」

 この青年は普段の物腰こそ柔らかでおとなしいのだが、殊オカルトのことになると手がつけられなくなるのだ。慌てた源二は収集がつかなくなる前に話の本腰を折らないようにと切る。

「でもなんで突然合宿なんか」

「花田先生に聞いたんだけど、一昨年まで、つまり私たちが入学する前まで、美術部で合宿をやっていたらしいのよ。で、その分の部費を使って何かしようって話になってね。一応、表向きは美術部じゃない、この部。あんまり使いすぎるのは良くないけど、適度に使っておかないとね」

「沙紀ちゃんよぉ、カモフラージュってのは分かるけど、そもそも俺らは、去年も美術部らしい活動なんて全くもってしていないんだぜ。そんなのいまさらじゃ」

「源二」

 少し幼さの残った、けれどもよく通るこの声の主は落ち着きを取り戻した江浜市立高校のオカルト研究部会長、小日向湊である。どうにも源二にはスイッチの入って周りの見えなくなったオカルトマニアと普段のこの好青年が同一人物には思えないでいた。知り合ってから二年もたつ自分がこうなのだから、目の前の肩まで掛った黒髪が印象的な少女、椎名沙紀はもっと違和感を感じているに違いないと源二は思う。そんな源二の想いとは裏腹にニコニコとしている沙紀に湊は目で合図を送る。

「……私たち、この部を設立してから今までちゃんとした活動をしてきていなかったじゃない。この夏が過ぎればもう、受験だったりで、小日向君は家業を継ぐんでしょうけど、忙しくなるからなにか“らしい”ことがしたいのよ。だから――」

 源二は、またやってしまったと、心の中で思った。思えば、放課後にこうして話をするくらいのことで高校生がやってしかるべき部活らしいことをしていなかった気がする。真面目な沙紀のことだ、その辺のことを気にしていたのかもしれないとハッとしたのだ。

「というわけでだ。今年は、沙紀の提案で、この記事の謎について追ってみたいと思う。これなら、学校に朝集合したり、各自調べてレポートにするなりして学期の始まりにでも報告会なんてことが出来るだろう。少しはらしいことができるんじゃないかな」

湊はさわやかな笑みを浮かべてそういった。


「あんまり危ないことはできないけど、ちょっとした冒険だな」

 そう呟いた源二の顔は、胸の内から湧く冒険心に少し頬が緩んでいた。あの後、2人を誘って週刊の漫画雑誌でも読みに行こうと誘ったのだが、湊には花田先生に合宿の相談を、沙紀にはいつも通り予備校に行くから無理だといって断られた。一人で立ち読みしても良いのだが、学校近くのコンビニで立ち読みなんかしていると他の部活帰りの生徒なんかが入ってきて、妙に肩身が狭く感じてしまうのだ。だからおとなしく自転車をこぎながら帰宅することにしたのだ。

 源二の住む蓑篭という地区は高校から少し離れた丘の上にある住宅地である。元々農林業で財をなしてきた江浜市ではあるが、今ある産業で設けられなくなった農家は田畑を住宅地に転用して、今では小売などのサービス業だけが産業として残っている。

 自宅の暖簾をくぐると母が土間を竹箒で掃いていた。ひんやりした空気が夏場のほてった肌にかかり気持ちいい。母が振り返り、あら、お帰んなさいといった。源二の家、つまり遠藤家は骨董屋を営んでいる。とはいってもこの不景気のさなか、骨董などというものを買うのはよほどの酔狂ものか裕福な人間しかいない、そういうわけで婿養子であるところの父はいつも夜遅くまで帰ってこない。祖母がまだ生きていたころは、貴重な年代物のつぼなんかが置いてある棚の近くでふらふらしてよく怒られた記憶がある。そして、前店主である祖母が亡くなった後も、源二は元々活発で地味なのを嫌う性質なせいもあってか骨董というものには大して興味はなかった。

 だから、店には店番を頼まれたときにだけ顔を出すだけで、基本的に店のある1階の土間を抜けて奥の階段を上がってすぐの自分の部屋に入り、鞄をパイプベッドの上に頬り投げて制服から私服に着替えるのが源二の癖になっていた。研究会から真っ直ぐに帰ってくると大体六時くらいにはこの家にはつくのだが、それから母が店を閉めるのを待ってから夕飯を作るのでいつも八時くらいまでの二時間をどこかで潰さなければいけないのだ。一応は進学希望としているのだからこの時間を勉強時間に当てればいいのだが、すきっ腹でものを考えるのも嫌であるのでいつも音楽を聞くか、漫画を読むかであった。自堕落な生活である。

 いつもそうしているうちに何事もなく時間が過ぎていく。下の階で常連の近所の人が来たのだろう、母の甲高い声が聞こえてくる。坂の上に位置しているこの家の2階の窓から見える景色はそれなりに楽しめるものなのだが、さすがに16年もこの部屋で暮らしてきて同じ景色を見ていれば飽きる。しかし、源二は部屋にある漫画をすべて一字一句覚えてしまうほど読んでしまっていたし、音楽だって新しいCDを買ったのはもう半年前ほどになる。だから、ここ最近はいつも見慣れた窓の外で夕日が海辺に沈んでいくのを見ていた。

「ちょっとこの部屋は一人じゃ広いよなぁ」

 ぼそりと源二は独り言ちた。


 言霊という古来から日本において信じられてきた因習がある。言葉がその意を表す事象を招くとされてきたもので、例えば、学校の友人が

『今日もカレーだ、しかも三日連続で』

等と嘆いていた日に、自分の家の食卓がカレーになっていたり、

『テストが赤点になっちゃうかも』

等と冗談のつもりで言ったことが、現実になったりするらしいということを湊が研究会で解説をしていたのを源二は思い出した。湊の楽しそうに話をしている姿を見ているとこちらまで好奇心が湧いてくる、そんな場にいることがただなんとなく居心地が良いと感じていた。だから源二にとって湊のオカルト知識についての真偽は実際、どうでもよいことであったのだが、この時ばかりは不用意にでさえも独り言を言うべきでなかったと思ったことはなかった。

 事が起ったのは夕飯の席である。八時ごろになると母が夕飯の準備を終えて源二のことを階段の下から呼んだ。一階の店の奥にある間が食堂になっていてそこで彼らは食事をとる。源二が先に夕飯の素麵をすすり、母も席に着こうとした時、店の黒電話が鳴る音がした。

 母がうんざりした様子で立ち上がり、店の方にでていった。この様子はいつもと同じだ。店を閉めた直後は、客がもう閉まる時間だからと考えての電話で注文をしてくるものなのだ。いつもなら、近所づきあいの延長線上にあるような調子でのやり取りが行われる為に冗談めいた声が聞こえてきたりするのだが、今日はなんだかあの甲高い声音が刺々しいヒステリー気味のものへと変わっていくのを源二は訝しく思った。やがて母が戻ってきた時に源二に言った。

「お兄ちゃん戻ってくるってさ」

 源氏の素麵を持つ箸が止まった。しかし、心臓の早鐘を打つ音が少しうるさく聞こえた。