「イタズラ」「裸」「傷」

「亮一、表にバイク止まってたけど、お前の?」

 亮一には、弟が一人いる。弟の名は竜二。竜二は亮一のことを呼び捨てで呼ぶ。それは、兄が尊敬できる人間でないからと言っていた。

「ああ、俺の愛馬さ」

 亮一は片口を釣りあげてウインクをした。竜二はいちいち気障ったらしい仕草をとるこの兄のことは嫌いではないのだが心の底から馬鹿にしている。

「愛馬って、昨日はなかったじゃねぇか。今日買ってきたんだろ?」

「これから口説き落とすのさ。しかももう家まで来ている。もう堕ちたも同然だろう。なあ、じっくりと解説してやるからさ、ちょっと外にでようぜ」

 こういう、変に強引なところも一回りほど年の離れた兄の気に入らない点の一つだった。こいつのせいで学校ではいつも馬鹿にされてしまうという思いがよぎる。が、テレビではよく広告で見かけるけれど、実際生でバイクというものをマジマジと見たことがない竜二の中で好奇心が勝った。

「さあ、こいつが俺の愛馬! CB600F Hornet PC36だ!!」

いつもなら竜二は冷やかしの一つでも入れるのだろうが、がっちりしたボディにどこか無骨さを感じさせるメタリックなパーツが組み込まれたこの二輪に見れば見るほど視線を吸い込まれていった。亮一はそんな弟の様子を気にも留めず、バイク屋から聞きかじったであろう台詞をまるで自分の考えのようにつらつらと話している。ああ、これを乗り回せる兄はどんな幸せ者なのだろうかとぶすぶすとした嫉妬の炎が竜二の心の奥底でくすぶり始めていた。

――そうだ、手に入らないなら、他の男に乗られるくらいなら俺が――


 翌日、亮一は朝一のアルバイトに出かけた。あれほど昨日の晩に自慢していたはずのバイクは、バイト先の近くに止めるところがないからという理由で家のガレージに置いたままだ。休日の朝だからか、両親は仕事の疲れで眠っている。竜二は兄が出たのを確認した後、バイクの元にいた。

「ああ、ホーネット」

 昨日は兄に手あかが付くなどと言われて、指一本触れさせてくれなかったものに今なら触れられる。よく研磨加工が行き届いたエンジン部を指でツッと触れる。朝の陽射しも浴びていないせいだろうかひんやりとした感触が竜二の手から血液を通して心臓へと流れていった。

「ここがあったかくなるんだよな、ブンブンって音出しながらこの重そうな身体を動かしてるんだよな」

 そういえば、ホーネットというバイクのジャンルはネイキッド、というものに分類されるらしい。裸、むき出しのを意味する英単語nakedに由来するカウル板の装備されていないバイクである。竜二は、あたりを見回して誰も人がいないことを確認するとそっと二輪のシートの上に乗った。まだ第二次成長期途中の竜二の身体ではこのバイクから足をつけることはできなかったが、しかし、しかし、シートに座りいつもより高くなった場所からこの駆動を動かすことによって見られるであろう数々の情景を瞼の裏に思い浮かべ、脳裏に焼き付け、涙を流すことはできた。

 そうしてしばらくさめざめと泣いた後、おもむろにバイクから飛び降りた竜二は、ガソリンタンクのふたを開けた。ポケットから丁度穴に入るくらいの石ころを取り出して、そして――ねじこんだ。

「よう、我が愛馬よ! さみしかったぜぇ、さあ、丘にツーリングと洒落込もうじゃないか!!」

帰ってきてそうそう晩御飯も食べずにバイクにまたがる亮一をリビングの窓ごしから眺める冷めた視線があった。視線はエンジンを入れてマフラーから流れる独特の重低音が遠ざかっていくのを聞き、そしてゆっくりと閉じられた。

『柳禅谷でバイク事故』

 昨夜未明、柳禅谷でバイクが炎上する事故があった。炎上したのは夢の国市在住の男性(21)の乗ったバイクで、事故当時駐車場で休憩をとっていた男性に怪我はなかった。事故原因は、ガソリンタンクの中の固形物が原因だと調査されている。