日記 216

8月19日(水)

 特に書くこともない。平穏な一日だった。

 書くネタを探して生活するのもなかなか虚無感がある。こういうときは筆の乗るままに書いてみようかしら、などと思うわけである。
 そういえば体験したことしか書けないとかいうアレが流行っているので、体験してないことをさも体験したかのように書いて失笑を買ってみようかと思う。
 
 某年7月某日のこと、現場時代の友人と久々に休みがあったので、近くの海水浴場が有名な某所に遊びに行った。彼は、おそらく仕事から稼いでいる所得に合ってないであろうスポーツカーをいくつも乗り換え、ブランドものの服を着回している所謂、見栄っ張りなのだが、突然こんなことを言い出した。
「おう、スカイダイビングにいくぞや」
 スカイダイビングと聞いて、高所恐怖症の私はすくみ上がりそうになったのだが、(高所恐怖症というのは嘘である。なぜなら私は飛行機に乗れる)、彼が運転する車に乗ってしまっているのだから拒否権などない。空港まで直行である。もはや拉致だ。海辺で水着のギャルなどをみようとあれほど仕事中に誘ってくれたのはなんだったのだろうか。
 地方の空港は小さい。羽田や成田などターミナルになっているところばかりが長期休暇のたびに映るせいでいつも劣等感を刺激されてしまう。子供の頃はこれがジャンボ機だ。などとただの50人のりの飛行機のことをはしゃいでみていたが、今となっては鷺(さぎ)くらいのものだと思ってしまう。さて、そんな寂しい滑走路をみながらエレベーターで屋上へ向かう我々だったが、開けばそこには一台のヘリコプターが。
「乗るべ」
 是非もない、窮屈な姿勢を取りながら乗り込めば、難いのいいパイロットとインストラクターが、(ああ、ここまで書いてインストラクターはエレベーターに乗ってなければならないな、と気づいた。きっと乗っていたのか、友人もまたインストラクターだったのだろう)、爽やかにサムズアップをして待っている。
 実のところ、このインストラクターというのもかなり鍛えている感じが、蜃気楼の茹だるアスファルトのなか、まっすぐに立っている頑強さから伝わってきた。こいつ、出来る……。私はというと、屋上に出た瞬間に風速10メートルの風とギラつく太陽に開いた瞬間手をついてしまっていた。そんなものだ。こちとらインドアなのだから。
 さて、簡単なレクチャーを受けてヘリは飛び立つ。ぶっちゃけると、この浮遊感が何度体験しても慣れない。地球の重力に縛られ続けるのがアースノイドの定めなのよ……。友人は、ヘラヘラとテンパりまくってる私をみつつ、インストラクターたちと世間話をしている。床屋で絶対話しまくるタイプだな、コイツ。担当のインストラクターのひとは気分悪くないですか、などと聞いてくれた。これが優しさか。いい年こいた男は泣きそうになった。
 ぐんぐん上がっていく高度。目的地まで往く。天高く飛べと征く。そして逆さまに落ちて逝く……。最後は想像だ。
 おそらく、ここは雲よりは低い場所。昔ギリシャイカロスは、蝋で固めた翼を両手で持って飛び立った。などと覚束ない歌詞の中身を思い出そうとしていたら、いつの間にか付いてしまった。
「さあ、いくべ」
 べーべー言ってんじゃないよ! この似非ラッパーが! と半ば半狂乱になりながらインストラクターさんと決死の(死なないために付いてきてくれている方になんという言い草か)ダイブ。強風、遠くに見えた我らの故郷。ぐんぐん迫る思い出の裏山。でかいだけが取り柄の総合病院。普段はだだっ広い砂浜にはしゃぐギャルがいるであろうビーチパラソルの点々。
 鳥さんたちはこんな景色を見ているんだね。ボクは卵を看ているからいっといで! 
 死の間際にみる妄想がこんなくだらない世界なんて私はいやだぞ。と、友人に視線を投げかけようとするも、すでに彼は私の20メートルほど先に降りている。容赦なく掛かる風圧。顔もアニメ版のナルトの中割くらい動いていただろうし、なにより、思い出しただけで今でもいやな汗が出てくる。耐え忍ぶことこそが忍道なのよ……。
 突然かかる上昇感。何事か、と見上げれば、インストラクターの人がパラシュートを開いてくれたらしい。神。ギラついていた太陽は、今や後光となっているかのようだよ。吊り橋効果ってこういうこと言うんだねって。
「そこから先は、あんまり覚えてないんだ」
「マジかー。また今度いくべ?」
「いかねぇべよ!?」

今日はこの辺で。